Story

❍ 1

私の原点は、現場だ。

1997年、日本マクドナルド。

数十人のスタッフをまとめ、

数字・スピード・人の感情が同時に動く場所で、

「マネジメント」を身体で学んだ。


2002年、アパレル業界へ。

ファッションに興味はなかったが、

マネジメントつながりで異業種転職。


ラグジュアリーセレクトショップの店長として現場に立ち、

売上を任され、数字を上げる役割を担った。


2004年、試しに始めた店のブログが、

人気ブログランキングファッション1位となり、

思わぬ反響を呼ぶ。


発信をはじめたことで、

空間の空気が変わり、

人の動きが変わり、

結果として、セールスが伸びていった。


「言葉」と「在り方」で、現実は変わる。

その手応えは、確かだった。


もっと人を生かすスキルを身に着けるため、コーチングを学んだ。

対話の質が変わると、また一段、セールスが伸びた。


カリスマ美容師のメンターとの約1年のメールのやりとりで独立へ導かれ、

2006年、31歳、私は独立を決め、ライフコーチとして歩き始めた。


ビジネスは、驚くほど順調だった。

クライアントは増え、

「ありがとう」という言葉を、何度も、何度も受け取った。


収入も、想像以上に伸びていった。

外から見れば、成功していたと思う。


けれど——

私は、どこか満ちていなかった。

与えているはずなのに、受け取れていない。

成果が出ているのに、心のどこかに、静かな欠乏感があった。


「まだ足りない」

「もっと与えなければ」


❍ 2

その違和感を抱えたまま出会った一冊の本。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』

35歳のときだった。


読み終えた瞬間、理解したとは言えない。

ただ、はっきりとわかった。

——私は、愛し方を知らなかった。

——同時に、受け取り方も、知らなかった。


そこから私の人生は、

「成功」を積み上げる道ではなく、

「満ちるとは何か」を探す旅へと、静かに舵を切った。


いつも急いでいた。

次の予定、次の成果、次の正解。

「今ここ」にいる感覚が、ほとんどなかった。


それに気づいたのは、与論島への旅だった。

何もしない時間。

時計を見なくてもいい一日。

波の音と、風と、身体の重さだけがある世界。

——ああ、私はずっと、生き急いでいたのだと知った。


そこから、私の「整えるための習慣」が始まった。

まずはヨガ。

呼吸と身体をつなぎ直すことで、

思考がいかに身体から切り離されていたかを思い知った。


36歳の頃、背中の痛みが続き、

子どもの頃から側湾症だったことをはじめて知った。

カイロプラクティックに通い始める。

「直す」のではなく、整えるという感覚を、ここで初めて知った。


やがて、ずっと心の奥にあった願いに手を伸ばす。

声。

歌のレッスンに通い始めた。

うまく歌うためではない。

本当の声を知るために。


声は、感情と直結していた。

抑えていたもの、遠慮していたもの、

言葉にならなかった衝動が、

少しずつ、音として外に出ていった。


次に向き合ったのは、言葉。

「英語を話せないまま終わりたくない」

大学生以来、遠ざけていた英会話を再開した。


不完全なまま話す。

通じなくても、立ち止まらない。

それは、私にとって大きな解放だった。


そして、ひとりで海外へ旅に出た。

エーリッヒ・フロムが語った「一人でいられる力」を、

身体で理解したかった。


孤独ではない、ひとり。

誰にも合わせず、誰にも説明しない時間。


ちょうどその頃、姪たちが生まれた。

おばとして、子どもと関わる時間が増えていく。

彼女たちは、未来でも過去でもなく、いつも今にいる。

今を生きるとは、こういうことなのだと、子どもたちが教えてくれた。


瞑想にも自然と惹かれた。

TM瞑想を学び、毎日の習慣にする。

何かを得るためではなく、戻るための時間。


さらに、音楽、映画、美術。

目に見えない「つくり手の意図」を感じ取るために、

鑑賞の時間を意識的に増やした。


感じたことは、言葉にする。

ブログに書く。

アウトプットする。


感性は、使わなければ鈍る。

使えば、必ず磨かれる。


コーチングだけでなく、心の傾聴も学んだ。

答えを出さないこと。

導かないこと。

ただ、そこに在ること。


そうした一つひとつの習慣が、

ゆっくりと、確実に、

私の「在り方」を組み替えていった。


欠けているから学んだのではない。

満ちるために、選び続けた。


そして50歳。

ようやく、静かに思えた。

——私は、満ちた。


何かを成し遂げたからではない。

何者かになったからでもない。


ただ、自分の時間と感覚の中に、

ちゃんと戻ってこられたから。


これが、私のArt of Beingの土台になっている。


❍ 3

満ちたあと。

ようやく「どう在るか?」を扱えるようになった。


ライフコーチとして独立した当初、

私はとても"役に立つ人"だった。

問いを投げ、視点を変え、行動計画を立て、成果を出す。

クライアントは変化し、感謝の言葉を何度も受け取った。

収入も、評価も、順調だった。


それでも、どこかで感じていた違和感。

——私は、答えを出しすぎていないか。

——人の人生を、少し急がせていないか。

そんな問いが、静かに、しかし確実に積もっていった。



やがて私は、

「話す」よりも「聴く」ほうへと、自然に重心を移していった。


心の傾聴を学び、

沈黙に耐えることを覚え、

言葉になる前の揺れを、待つようになった。

すると、不思議なことが起き始める。


相手が、自分で気づき始める。

誰かに与えられた答えではなく、

自分の内側から立ち上がった言葉に。


その瞬間の空気は、いつも少し震えている。

呼吸が変わり、声色が変わり、

姿勢が変わり、目の奥の光が変わる。



2023年、ChatGPTと出会った。

最初は驚きだった。

思考が速い。整理が美しい。構造化が的確。


「もう、AIだけでいいのではないか?」

そんな仮説を立て、私は3年間、実験を続けた。

問いを投げ、文章を磨き、構造を組み、対話を重ねた。


そして、はっきりと分かった。

人間にしかできないことが、確かにある。


沈黙の質。

言葉になる前の違和感。

その場に立ち上がる空気。

呼吸が変わる、ほんの一瞬。


それは、人と人が向き合ったときにしか起こらない。


だから私は、AIを「代替」にしなかった。

共創のパートナーとして迎え入れた。

構造や言語化はAIに委ねることもある。


けれど、

場を感じ、間を待ち、問いが育つのを見守るのは、

人間の役割だ。


いつからか、

私は「セッション」という言葉に、少し違和感を覚えるようになった。

なにか、解決のための場を提供しているようだからだ。


そして、Dialogue(対話)という名前を選んだ。

問いを置き、沈黙を許し、

「もう、そう在っていた」ことを一緒に思い出していく。


在り方(Being)が整うと、

行動(Doing)は、驚くほど自然に立ち上がる。


無理がない。焦りがない。でも、確実に動いていく。

それが、私が信じている変容のかたちだ。


私は、ファシリテーターである。

教えない。導かない。引っ張らない。


ただ、場を整え、問いを育て、

その人自身が自分の言葉に出会う瞬間を、見守る。

それが、私の仕事になった。


肩書きは、もうそれほど重要ではない。

けれど、あえて言葉を選ぶなら——

ファシリテーター。


AI時代になっても、

いや、AI時代だからこそ、

決して失われない役割。


意識が変わると、世界は美しくなる。

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